第25回四万十川ウルトラマラソン 当日 [triathlon]
100kmの部のスタートは5:30なので、2:00に起床して準備、朝食をとり、3:00にとまろっとのコテージを出発。車を昨日の受付会場であるスポーツセンターに駐車し、同僚の友人にスタート会場である蕨岡中学校まで送迎してもらった。
中学校の校庭・体育館には、本日出走する約1,900名のランナーとスタッフで溢れかえっていた。5:00の開会式の後には、ランナーがスタートラインへ。トイレも長蛇の列であったが、この頃には空いてきたので、私はサクッと?トイレへ。
100kmスタート地点の蕨岡中学校で気合い十分?不安いっぱい
1,900名のランナーを迎えての開会式
5:30、スタートの号砲がなった。どこまで進めるのかわからないが、いよいよ私の「自分の知らない自分を探す旅」が始まった。
まずは堂が森の峠まで比高差約600mを登らなければいけない。スタートから約16kmは緩やかな上り坂が続き、そこから一気に上がる。21km地点が峠であるが、最後の5kmはほとんど歩いた。そこから、また一気に下りが33km地点まで続く。下り始めに足が攣りかけたが、どうにか持ちこたえつつも、辛い下りが続いた。着地のたびに足に負担がかかるのを感じた。そうしていると四万十川本流の綺麗な景色が広がり、36.6kmの第一関門が見えてきた。
第一関門の関門時間は5時間25分(時刻10:55)であるが、約8分前のギリギリで通過。かなり峠越えで足を使ってしまった、というよりも全ての体力と足を使ってしまった状態で、第二関門を目指す。ここからはアップダウンは緩やかなのであるが、下り坂だけヒョコヒョコと走り、それ以外は歩いてしまった。
もうこの頃になると前後に見えるランナーはおらず、一人だけで走っているのであるが、応援や運営の方々が声をかけてくれる。時々、私をゆっくりとそしてしっかりとした足取りで抜いていくランナー、反対に足を痛そうにひこずっているランナーを見かけるだけである。
結局、第二関門の制限時間である8時間24分(時刻13:54)には関門まで行き着かず、8時間40分に収容バスが後ろからやって来た。55kmを8時間40分かけて走って、歩いたことになる。このような結末は予想していたが、61.4kmのレストステーションまで行きたかった。予想以上に堂が森の峠越えが厳しかった。
収容バスに収容された後は、レストステーションで自分の荷物を受け取り、余り物のおにぎりと具無し味噌汁をいただいて、再度バスに乗ってゴールの中村高等学校へ向かった。このあたりの対応は、リタイアした者にとって少し辛いが、次回へのモチベーションと理解すべきだろう。
ゴール地点に到着後は、会社の同僚が切り盛りしている給食ボランティアのテントへ行く。同僚のみんなは、完走できなかった私をもとても暖かく迎えてくれた。そして、ゴール会場の多くの選手に対し、笑顔で丁寧なおもてなしをしていた。
その後、100kmを快走した新入社員、60kmで安定した走りをみせた技師長、100kmを昨年以上のタイムで完走した陸上部部長、60kmで自分に負けずに頑張った若手社員を迎えた。完走できなかった自分が少し寂しく思えた時間であったが、完走した同僚を心から尊敬した時間でもあった。
25回目を迎えたこの四万十川ウルトラマラソンは、地域の方々が一体となって運営し盛り上げている素晴らしい大会である。以前から東のサロマ湖、西の四万十と言われてきた100kmウルトラマラソンであるが、それを支えてきたのは地域の方々である事を改めて感じた。
完走できなかった私を暖かく迎えてくれたゴール給食ボランティアの同僚達
ベテランランナーの技師長と癒しの給食ボランティアの同僚
隣でおもてなしをしていた美味しいうどんは「四万十うどん工房 麦屋」
綺麗な夕日に包まれたゴール会場
完走した同僚と完走できなかったあおたけ
毎年大いに盛り上がるゴール会場
涙うるうるもののゴール地点
今回初出場の同僚ランナー
自分との戦いに勝った同僚の若手
素晴らしい走りで完走した同僚の若手達と完走できなかったあおたけ
19時30分の盛大な花火で幕を閉じた四万十川ウルトラマラソン
(来年はこの花火をどの様な思いを持って見る事になるであろうか!?)
中学校の校庭・体育館には、本日出走する約1,900名のランナーとスタッフで溢れかえっていた。5:00の開会式の後には、ランナーがスタートラインへ。トイレも長蛇の列であったが、この頃には空いてきたので、私はサクッと?トイレへ。
100kmスタート地点の蕨岡中学校で気合い十分?不安いっぱい
1,900名のランナーを迎えての開会式
5:30、スタートの号砲がなった。どこまで進めるのかわからないが、いよいよ私の「自分の知らない自分を探す旅」が始まった。
まずは堂が森の峠まで比高差約600mを登らなければいけない。スタートから約16kmは緩やかな上り坂が続き、そこから一気に上がる。21km地点が峠であるが、最後の5kmはほとんど歩いた。そこから、また一気に下りが33km地点まで続く。下り始めに足が攣りかけたが、どうにか持ちこたえつつも、辛い下りが続いた。着地のたびに足に負担がかかるのを感じた。そうしていると四万十川本流の綺麗な景色が広がり、36.6kmの第一関門が見えてきた。
第一関門の関門時間は5時間25分(時刻10:55)であるが、約8分前のギリギリで通過。かなり峠越えで足を使ってしまった、というよりも全ての体力と足を使ってしまった状態で、第二関門を目指す。ここからはアップダウンは緩やかなのであるが、下り坂だけヒョコヒョコと走り、それ以外は歩いてしまった。
もうこの頃になると前後に見えるランナーはおらず、一人だけで走っているのであるが、応援や運営の方々が声をかけてくれる。時々、私をゆっくりとそしてしっかりとした足取りで抜いていくランナー、反対に足を痛そうにひこずっているランナーを見かけるだけである。
結局、第二関門の制限時間である8時間24分(時刻13:54)には関門まで行き着かず、8時間40分に収容バスが後ろからやって来た。55kmを8時間40分かけて走って、歩いたことになる。このような結末は予想していたが、61.4kmのレストステーションまで行きたかった。予想以上に堂が森の峠越えが厳しかった。
収容バスに収容された後は、レストステーションで自分の荷物を受け取り、余り物のおにぎりと具無し味噌汁をいただいて、再度バスに乗ってゴールの中村高等学校へ向かった。このあたりの対応は、リタイアした者にとって少し辛いが、次回へのモチベーションと理解すべきだろう。
ゴール地点に到着後は、会社の同僚が切り盛りしている給食ボランティアのテントへ行く。同僚のみんなは、完走できなかった私をもとても暖かく迎えてくれた。そして、ゴール会場の多くの選手に対し、笑顔で丁寧なおもてなしをしていた。
その後、100kmを快走した新入社員、60kmで安定した走りをみせた技師長、100kmを昨年以上のタイムで完走した陸上部部長、60kmで自分に負けずに頑張った若手社員を迎えた。完走できなかった自分が少し寂しく思えた時間であったが、完走した同僚を心から尊敬した時間でもあった。
25回目を迎えたこの四万十川ウルトラマラソンは、地域の方々が一体となって運営し盛り上げている素晴らしい大会である。以前から東のサロマ湖、西の四万十と言われてきた100kmウルトラマラソンであるが、それを支えてきたのは地域の方々である事を改めて感じた。
完走できなかった私を暖かく迎えてくれたゴール給食ボランティアの同僚達
ベテランランナーの技師長と癒しの給食ボランティアの同僚
隣でおもてなしをしていた美味しいうどんは「四万十うどん工房 麦屋」
綺麗な夕日に包まれたゴール会場
完走した同僚と完走できなかったあおたけ
毎年大いに盛り上がるゴール会場
涙うるうるもののゴール地点
今回初出場の同僚ランナー
自分との戦いに勝った同僚の若手
素晴らしい走りで完走した同僚の若手達と完走できなかったあおたけ
19時30分の盛大な花火で幕を閉じた四万十川ウルトラマラソン
(来年はこの花火をどの様な思いを持って見る事になるであろうか!?)
2019-10-20 23:59
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コメント(2)
お疲れ様でした。15km?付近でブログを拝見してますと声をかけさせて頂いた2744番です。私も56kmの関門はクリアしたものの、その前の峠越えで脚が終わりリタイヤしました。来年はもっと準備を積んでリベンジしたいと思います。?
by 緑のバイクジャージ (2019-10-22 02:48)
緑のバイクジャージさん、ご丁寧にコメントありがとうこざいます。
予想していた結末ですが、やはり残念で悔しいですね。私も来年も出たいと思います!100? or 60?
by Aotake (2019-10-22 06:56)